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広島地方裁判所 昭和54年(ワ)401号 判決 1982年12月22日

原告

新田英夫

原告

新田和志

原告

増岡春美

右三名訴訟代理人

鶴敍

小笠豊

被告

藤木直樹

右訴訟代理人

秋山光明

新谷昭治

主文

一  被告は、原告新田英夫に対し、一二四一万二九四八円およびうち一一四一万二九四八円に対する昭和五三年一一月一四日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告新田和志および同増岡春美に対し、各五四一万二九四八円およびうち各四九一万二九四八円に対する昭和五三年一一月一四日から完済に至るまでいずれも年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は被告の負担とする。

五  この判決は、主文第一、二項にかぎり、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告新田英夫に対し、一五五〇万円およびうち一四五〇万円に対する昭和五三年一一月一四日から完済に至るまで、年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は、原告新田和志および同増岡春美に対し、各九〇〇万円およびうち各八〇〇万円に対する昭和五三年一一月一四日から完済までいずれも年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  仮執行の宣言

<中略>

第二  当事者の主張

<中略>

三 被告の主張

1  里枝の既往症について

(一)  昭和四八年度

(1) 里枝は、昭和四八年七月二三日被告医院において初めて診察を受けているが、頻尿、排尿痛などの症状があつたので、急性膀胱炎と診断され、同日、同月二五日、二六日の三回にわたり、被告よりそれぞれ硫酸ストレプトマイシン一グラムの筋肉注射を受けたほか、同月二三日、二五日、二七日には抗生物質オーテシン二五〇ミリグラム四錠を各二日分宛投与された。その後同人の症状は快方に向つたので、同月二七日、八月六日には、それぞれ抗生物質テトラリザール四錠が各二日分宛投与されている。その結果、八月六日を最後として被告医院に来院しなくなつたので、そのころ治癒したと判断された。

(2) その後二か月を経過した一〇月六日に里枝は来院し、再び排尿痛を訴え、尿蛋白検査が陽性であつたので、同日と同月一一日、一一月六日に前記テトラリザール二日分宛がそれぞれ投与されている。

(二)  昭和四九年度

(1) 昭和四九年六月二一日、里枝は、排尿痛、尿意逼迫を訴えて来院し、検査の結果尿蛋白が多かつたので急性膀胱炎と診断され、同日、同月二二日、七月二三日、二四日の四回にわたり、クロロマイセチンゾル一グラム宛の筋肉注射をそれぞれ受け、同月二六日、八月二六日には、テトラリザール三日分宛、九月二六日にはサルファ剤がそれぞれ投与され、その結果症状が軽快した。

(2) 里枝は一二月一八日前同様の症状を訴えて来院し、前回と同じ診断のもとにテトラリザール四日分が投与されている。

(三)  昭和五〇年度

一月二四日、排尿痛、排尿終痛の症状を訴えて来院し、前同様の診断のもとに、同日抗生物質チオフエキコール二〇〇ミリグラム四錠が三日分投与され、三月六日抗生物質ウロトレックス二五〇ミリグラム四錠が四日分、六月四日と七月一日の二回にわたり、それぞれ前記チオフエニコール三日分宛が投与されている。

(四)  昭和五一年度

七月二九日来院し、膀胱炎と診断され、前記チオフエニコール二五〇ミリグラム四錠が四日分投与されている。

(五)  昭和五二年度

この年は、他の疾病(糖尿病、肩こり症、水虫等)では来院したが、膀胱炎の症状はなく、その診療もなかつた。

(六)  昭和五三年度

二月一〇日再び排尿痛を訴えて来院し、急性膀胱炎と診断され、その際問診の結果アレルギー反応はないとのことであつたので、同日と同月一八日、二五日の三回にわたり、抗生物質ソルシリン二五〇ミリグラム四錠が三日分ないし四日分宛投与された。その後、五月二二日、二七日、七月四日、一四日の四回にわたり、チオフエニコール二五〇ミリグラムがそれぞれ四日分宛投与されている。<中略>

2  本件の診療経過について

<中略>

(二) その直後、超短波をかけるため、里枝は数メートル離れたベッドに向つて歩いたが、その近くまできたとき気分が悪いと言つて便所に行こうとして、その場にうづくまり二回嘔吐した。

これを見て、被告はすぐにショックと判断し、直ちに救急措置としてコルソン1.65ミリグラム0.5cc二アンプル(副腎皮質ホルモン、ショック治療剤)を注射し、里枝をベッドに移して次のような救急措置を続行した。

(三) 救急措置としてとつたものは、人工呼吸、酸素吸入を行い、ネオフィリンM一A(強心剤)、ビタカン一A(昇圧剤、強心剤)、を各注射し、二〇パーセントブドウ糖二〇cc、ペルサチン一A(強心、循環剤)、五パーセントブドウ糖五〇〇cc、ビタノイリン一A、デカドロン3.3ミリグラム二A、ノルアドレナリン一A(強心剤)など混入した点滴をなし、口膣内吐物吸引を行い、気道確保のためエア・ウエイを挿入し、また人工呼吸を行いながら、イーエルS五〇〇cc、デカドロン二A、パルマニール二A、ビタノイリン一Aなどの混入した点滴を追加し、更に、塩酸パパペリン一A(鎮痙剤)、アリナミンF一〇ミリグラム一A、パルマニール一A、デカトロン一Aなどをそれぞれ皮下注射し、胃内吸引も行つた。

(四) 里枝は、その間強い痙攣、チアノーゼ、血圧低下、嘔吐をくりかえし、排便もあり、回復症候もなく、同日午後〇時三二分死亡するに至つた。

<中略>

四 被告の主張に対する原告らの反論

1  ストレプトマイシンの再評価について

(一)  戦後、医学薬学および関連科学の進歩に伴つて、医薬品の開発も目覚ましい発展を示したが、優れた医薬品の出現は、医薬品に対する過信のもとになり、医薬品の使用についての慎重さを欠く結果となり、医薬品の乱用という風潮を招いた。

昭和三六年に起こつたサリドマイド事件、昭和四〇年アンプル入りかぜ薬事件は、医薬品の安全性に対する不安をたかめ、薬事行政に対する一大警告となつた。

そこで医薬品の有効性および安全性への疑惑を学問的に究明し、適切な措置を講ずることは医薬行政の重大な責務とされるに至つた。

(二)  このような認識から、医薬品の有効性、安全性に関する再検討についての厚生大臣の私的諮問機関である薬効問題懇談会がなした昭和四六年七月七日付答申に基づいて、厚生大臣は、昭和四二年一〇月一日以降に承認を受けた新医薬品を除くすべての医薬品について、その有効性と安全性を再検討することとなつた。

(三)  再検討の組織としては、中央薬事審議会の中に、医薬品再評価特別部会を新設し、この部会の下部機構として薬効群別に専門調査会を設けた

特別部会は、広く医学、薬学各領域の専門家で構成され、その審議内容は再検討を実施するに当つての具体的方策の設定、および薬効判定に関する一般的な原則の確立であつて、具体的には再検討の実施計画を定め、それに関した専門調査会を設けたことである。

専門調査会は、薬効群別に分類された医薬品群に直接関係のある専門家で構成され、各調査会は、専門的な観点から薬効判定に関する具体的な基準を設定し、それに基づき個々の医薬品の検討を詳細に行つた。

(四)  再評価の具体的方法は、膨大な数にのぼる再検討の対象医薬品の個々の品目について、実験によつてその有用性を検討することは不可能であるから、当該品目の製造業者が収集整理した資料について検討することを原則としたが、必要あるときは、資料の基礎となる原著論文の提出、あるいは試験の実施を求める場合があるというものであつた。

(五)  硫酸ストレプトマイシンについては、昭和五一年四月二八日付の「医薬品再評価における評価判定について―その8」において再評価判定の結果が中央薬事審議会から厚生大臣宛になされた。

その結果は次のとおりである。

(1) 有効であることが実証されているもの

肺結核およびその他の結核症、野兎病、ワイル病

(2) 有効であることが推定できるもの細菌性内膜炎(ベンジルペニシリンまたはアミノベンジルペニシリンと併用の場合に限る。)

(3) 有効と判定する根拠がないもの尿路感染症等

(六)  右再評価の結果は、前同日付で厚生省薬務局長より各都道府県知事宛通知された。そして日本医事新報同年五月八日号にも右第八次再評価結果が掲載され、同月一五日号には硫酸ストレプトマイシンについての再評価判定の全文が掲載された。

その後も、硫酸ストレプトマイシンについて再評価の結果、急性膀胱炎などの一般感染症には適応がなく、これを使用してはならない旨、各種医学書、医学雑誌に掲載され、周知徹底が図られた。

2  医薬品添付文書の記載について

(一)  医薬品の添付文書とは、薬事法五二条に基づいて医薬品に添付される文書であり、当該医薬品の効能効果、用法、副作用等多くの情報が記載され、医薬品の使用者である医師等に対し、資料情報を提供するものとして重要な役割を果している。

(二)  厚生省は、従来医薬品の添付文書について、昭和四五年四月二一日薬監第一六七号薬務局監視課長通知(「医療用医薬品の添付文書について」と題するもの)により指導してきたが、医師等使用者に対する情報源としての右文書のもつ役割と機能の重要性から、昭和五一年二月二〇日薬発第一五三号(「医療用医薬品の使用上の注意記載要領について」)および同年三月二九日薬発第二八七号(「医療用医薬品添付文書の記載方式について」)の各都道付県知事宛の薬務局長通知により、従来の添付文書の記載方式を至面的に改正して、監督と監視を強化した。

(三)  右通知によると、薬理作用を説明する場合には、その薬理作用により承認された効能又は効果以外の効能又は効果に対しても、臨床的に使用できるような印象を与える表現はしないこと、適応症(効能又は効果)については、既に再評価の終了した医薬品にあつては、再評価判定結果に基づいて記載すること、右記載以外の効能、効果又はそれらを暗示する記載は添付文書のいかなる場所にも記載してはならない旨明記されている。<以下、事実省略>

理由

一争いのない事実

1  被告は、竹原市において昭和四一年五月以来藤木医院を開業し、医療に従事している医師であるところ、大正一四年四月二八日生れの主婦である里枝が、昭和五三年一一月一四日午前九時四〇分ころ、肩こりと頻尿を訴えて、外来患者として被告の診察を受けたこと。(なお、その際里枝の訴えに排尿痛があつたかどうかについては争いがある。)

2  被告は、そのころ同女を診察して、その症状を急性膀胱炎と診断し、治療のため、硫酸ストレプトマイシンの筋肉注射を同女の臀部にしたところ、同女は間もなくショック状態に陥いり、手当の甲斐なく同日午後〇時三二分同医院において死亡するに至つたこと。

3  里枝の直接の死亡原因は、硫酸ストレプトマイシンによるショック死であることが、後日広島大学医学部法医学教室における死体解剖に基づく鑑定の結果判明したこと。

4  原告新田英夫は里枝の夫であり、原告新田和志はその長男、原告増岡春美はその長女であり、里枝の死亡により同女の権利義務を、原告らが各相続分(いずれも三分の一)に応じてそれぞれ承継したこと。

以上の各事実は、いずれも当事者間において争いがない。

二争点の判断

1  本件における第一の争点は、被告が里枝の症状を急性膀胱炎と診断し、その治療のために硫酸ストレプトマイシンの筋肉注射をしたことに医療上の過誤があつたか否かであるから、先ず右の点について検討する。

(一)  <証拠によ>れば、次の各事実が認められる。

(1) 里枝は、過去被告医院において、昭和四八年七月二三日以降昭和五三年七月一四日まで、多数回にわたり受診し、被告の治療を受けているが、その急性膀胱炎に関する治療状況の詳細は、事実摘示中三(被告の主張)1(里枝既往症について)に記載されているとおりであること。

(2) 里枝は、昭和五三年一一月一四日午前九時三〇分ころ外来患者として被告医院を訪れ、「少しおしつこが近いから診てくれ。」と診断を求めた。そこで被告は、看護婦に採尿して尿検査をするよう命じた後、診察室において里枝を自己の前の椅子に坐らせて問診したところ、里枝は排尿痛も訴えた(この点につき、原告らは、排尿痛の訴えはなかつたと主張するが、当日カルテ((甲第四号証の六、乙第一号証の六))にはMiktions((排尿終末痛のこと))の記載があるうえ、過去においても里枝は被告に度々排尿痛の訴えをしているので、被告主張のとおり認めるが相当である。)ので、同女の膀胱部を手で圧迫してみたら「痛い」という反応があつたこと。

(3) そのうちに里枝の尿検査の結果が判明し、尿蛋白が陽性であり、また原尿に尿混濁のあることが肉眼で認められたので、被告は里枝の症状を急性膀胱炎と診断し、その治療のため、硫酸ストレプトマイシン一グラムを、同薬剤を使用するということを告げる等何らの説明をすることなく、診察台上で同女の臀部に筋肉注射したこと。

(4) その後の状況は、事実摘示中三(被告の主張)2(本件の診療経過について)(二)ないし(四)記載のとおりであること。

(5) なお、被告が本件において硫酸ストレプトマイシンを使用したのは、同薬剤の能書に「本剤はグラム陽性菌、グラム陰性菌に強力な抗菌作用をあらわし、各科領域の感染症にすぐれた臨床効果を発揮します。」と記載されていることおよび里枝に対しては、過去において、右薬剤のほか、クロロマイセチン等の筋肉注射をし、その他各種抗生物質、サルファ剤等の投与をしたにもかかわらず、何ら副作用の症状が生じなかつたので、危険はないと判断し、薬効の強い本剤を使用したものであること。

(6) ところで近時、かように薬効の高い薬剤には重大な副作用を生ずる危険のあることが判明したので、その有効性と安全性を較量のうえ、有用性を決定するため、昭和四六年七月二二日、厚生大臣の諮問機関である中央薬事審議会に医薬品再評価特別部会を設置し、右部会内に二〇部門の専門調査会を置き、専門家による医薬品等の再評価をすることとなり、昭和四八年一一月二一日に第一次の再評価の答申がなされたのを皮切りに、爾後昭和五四年二月二日の第一五次答申まで逐次各種医薬品の再評価結果について答申がなされた。

しかして硫酸ストレプトマイシンの再評価の結果については、昭和五一年四月二八日中央薬事審議会から厚生大臣に対してなされた第八次答申に含まれており、右答申内容は、同日厚生省薬務局において発表されたが、それによると硫酸ストレプトマイシンは

(イ) 有効であることが実証されているもの

肺結核およびその他の結核症、野兎病、ワイル病。

(ロ) 有効であることが推定できるもの細菌性内膜炎(ベンピルペニシリンまたはアミノベンジルペニシリンと併用の場合に限る。)

(ハ) 有効と判定する根拠がないもの

尿路感染症等。

とされていること。

(7) そして、ストレプトマイシンの再評価に関するその余の経緯ならびにその結果の医療業務従業者への周知状況については、事実摘示中四(被告の主張に対する原告の反論)1(ストレプトマイシンの再評価について)(一)ないし(六)記載のとおりであること。

(8) また、薬剤の能書等医薬品添付文書の役割、それに対する厚生省の監督、監視状況は、事実摘示中四(被告の主張に対する原告の反論)2(医薬品添付文書の記載について)(一)ないし(三)記載のとおりであること。

(9) なお、被告は前記医薬品の再評価の結果について、本件診療当時全く認識がなかつたこと。

以上の各事実をそれぞれ認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(二) そこで以上の各事実を更に総合して本件を考えてみるに、

(1)  本件診療に使用された硫酸ストレプトマイシンの添付文書において、適応症の項では、前記再評価の結果適応を承認された肺結核およびその他の結核症、野兎病、ワイル病、細菌性心内膜炎のみを限定的に記載しながら、右添付文書の冒頭でその薬理作用を説明する文章として「本剤はグラム陽性菌、グラム陰性菌ならびに抗酸菌に強力な抗菌作用をあらわし、各科領域の感染症にすぐれた臨床効果を発揮します。」と記載されていたのは、明らかに薬事法五二条一号の趣旨を受けた前記昭和五一年二月二〇日および同年三月二九日付各薬務局長通知ならびに昭和四五年四月二一日付薬務局監視課長通知に反する不当な記戴と認むべきである。

(2)  被告は、本件診療当時前記医薬品再評価の結果が公表され、急性膀胱炎のような一般感染症に、硫酸ストレプトマイシンを使用すべきではないとされていることを全く知らなかつたと弁解しているが、前認定のように昭和五一年四月二八日に公表され、その後も日本医事新報や各種医学雑誌等により周知徹底が図られている右再評価の結果について、公表後二年半以上も経過している本件診療時において、多数の市民の診療に従事している開業医である被告がこれを知らなかつたとすれば、不勉強のそしりを免れず、それは明らかに医師としての職務研鑽義務(日進月歩する医学、医術の水準に遅れないため、常時研鑽精進すべき義務)の懈怠である。

(3)  また、<証拠>によれば、薬物によるアナフイラキシーショックの発生率は、経口投与の場合に比べて注射による場合が極めて高いこと、ストレプトマイシンによるアナフイラキシーショックの事例数は、抗生物質によるアナフイラキシーショックのうち、ペニシリンによるものに次いで、二、三番目に多いことが認められ、<証拠>によれば、本件事故当時および現在においても、アナフイラキシーショックの機序は、抗原抗体反応によつて説明されており、それによれば、初回に用いたものと同一の物質にのみ、再注射でショックが起こり、アナフイラキシーショックの発生には抗体をつくるのに必要な一定の潜伏期が必要であることになることが認められ、次いで<証拠>によれば、「ショックを起こしやすい時期としては一般に七ないし一〇日間隔で注射したときとされているが、初回、毎日行つているときでも起こる。従つて、常に起こりうると考えておくべきである。」とも言われていることが認められるので、里枝において、昭和四八年七月二三日、同月二五日および同月二六日に各一回一グラムずつ硫酸ストレプトマイシンの筋肉注射を受けた際に異常がなく、その後本件事故当日までにクロロマイセチンゾルの注射やテトラリザール、サルファ剤等の薬物の経口投与を何回か受けたが異常が発生しなかつたことをもつて、本件事故当日にも、硫酸ストレプトマイシンの注射によりアナフイラキシーショックは発生しないであろうと予測する根拠とするには不十分と言うのほかなく、従つて被告が、本件事故当日、里枝の従前の診療歴のみから、アナフイラキシーショックの発生はないものと速断し、硫酸ストレプトマイシンを適用し、過敏性テストをすることもなく、いきなり一グラム全量を同女の臀部に筋肉注射したことは、軽率であつたと言わざるを得ない。

(4)  以上によると、被告が本件診療時において、里枝を急性膀胱炎と診断したことに誤りはないものの、同症に適用される他の薬剤と比較して副作用の危険性の大きい硫酸ストレプトマイシンを、その治療のため同薬剤の使用が必要やむを得ない程重篤な状態ではなかつた同女に対し、使用することにし、過敏性テストをすることもなく、いきなり筋肉性注射したことは、当時の医療水準からみて明らかに過誤があつたものと言わねばならない。

(5) 被告は、これに対して、医師には薬剤使用について広い裁量が認められているから、本件死亡事故につき責任はない旨主張して抗争するが、医師の裁量についても、当時の医療水準を基礎とすべきであるから、(一)の(6)(7)記載の事実に照らし本件のような場合その裁量の範囲を逸脱しているものと認めるのが相当である。

(6) そうすると、その余の争点について判断するまでもなく、被告は、里枝の死亡につき責任があること明らかであるから、よつて生じた損害を原告らに対して賠償すべき義務があるものと言わねばならない。

2  損害額について

(一)  里枝の逸失利益 八七三万八八四四円

<中略>

(二)  葬祭費 五〇万円

<中略>

(三)慰籍料 合計一二〇〇万円

<中略>

(四)  弁護士費用 二〇〇万円

<中略>

三結論

以上説示したところによると、被告は、硫酸ストレプトマイシンを使用して里枝をショック死させたことにより、損害賠償として、原告新田英夫に対し、前記2のうち(一)につき相続分三分の一を乗じた金額二九一万二九四八円および(二)(三)(四)の合計一二四一万二九四八円と、これにより弁護土費用一〇〇万円を控除した一一四一万二九四八円に対する本件不法行為(医療過誤)の発生した日である昭和五三年一一月一四日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の、その余の原告らに対しては、いずれも前記2のうち(一)につき相続分三分の一を乗じた金額二九一万二九四八円および(三)、(四)の合計である各五四一万二九四八円と、これより弁護士費用各五〇万円宛をそれぞれ控除した四九一万二九四八円に対する前同日から完済に至るまでいずれも民法所定年五分の割合による遅延損害金の、各支払義務があることになる。<以下、省略>

(植杉豊 山崎宏征 大泉一夫)

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